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能登半島地震に改めて学ぶ危機管理の要諦~災害イマジネーションを鍛える~

令和6年能登半島地震の発生

元旦に発生した地震は、正月番組ですっかり正月気分に浸っていた気分を瞬時に恐怖に貶めた。16時10分に石川県能登地方で発生したこの地震は、マグニチュード7.6、最大震度7を観測し、令和6年能登半島地震と命名された。発生後は、輪島市を最大1.2mの津波が襲来したとされ、沿岸部では津波による被害が発生した。

この地震により実に200名以上の方々が犠牲となった。亡くなられた方々に衷心より哀悼の意を表すると共に、ご家族・親族の方々には衷心よりお悔やみ申し上げたい。また一日も早く地震発生前の平穏な日々、家族が安心して一緒に過ごせる日がやってくることを願ってやまない。

地震発生から3週間を経過しようとしているが、未だ安否不明の方々もおられ、今なお断水で思うように水が使えない地域が多くあり、寒さも相まって、過酷な避難生活を強いられていることを思うと本当に心が痛む。

能登半島は2007年にもM6.9震度6強の能登半島沖地震が発生している。2000年にはM6.2の石川県西洋沖地震、1993年にはM6.6の能登半島沖地震と地震頻発地域であることが分かる。こうした地震頻発地域であるという背景もあってか、実は筆者も、新潟県中越地震以降、2010年前後に珠洲市で市町村防災研修を実施したことがある。珠洲市が災害対策を熱心に考えられていたからこそ、防災研修に招聘されたのだと考えている。珠洲市役所を訪れた際のことは明確に記憶している。研修では、いざ地震が発生すると、停電になり、通信が使えない状況が起こり得るので、災害用伝言ダイヤルや災害用伝言板等を活用し、家族の安否を確認することの重要性を理解してもらうように努めたことを昨日のことのように思い出す。珠洲市が甚大な災害を被っている報道を見るたびに、あの時お世話になった市役所の方々、また受講された方々が全員無事であること、また一人でも多くの方が助かっていてほしいと願わずにはいられない。

出典:地震調査研究推進本部地震調査委員会令和6年度能登半島地震の評価

能登半島地震の被害の概況と復旧状況

地震発生から3週間が経過し、地震や津波、BCP、地域防災に係る有識者や専門家から今回の能登半島地震について様々な見解が登場するに至っている。当初最大で1.2mとされた津波が実は6mに及んだのではないかという調査研究やそもそも能登半島地震の研究がまだ浅いがために、能登半島地震に対する警戒が不十分だったのではないかとする意見等も見受けられるようになっている。

そこでまず、全様の詳細はまだつかめていないまでも、およその被害が分かっているので、被害の概要を認識するところから始めてみたい。非常災害対策本部の報告によれば、1月13日12:00現在で、死者215名、負傷者1,183名、全壊656棟、半壊424棟、住家被害が合計で6,511棟に上っている。また、石川県、富山県、新潟県で17件の火災が発生した。とりわけ輪島市での火災による被害は甚大で、輪島の朝市で知られる市場が全焼している光景が何度も報道されている。警戒レベル4の避難指示の対象者は1,100名に及んだ。ライフラインに関しては、断水が氷見市14,000戸、七尾市21,800戸、輪島市10,000戸、志賀町8,800戸、珠洲市4,800戸、能登町8,800戸など合計105,300戸となっている。電力では、11,700戸が停電している。都市ガスについては1月13日時点で、ほとんど解消に向かっている。通信については、NTTドコモでは、七尾市、珠洲市、輪島市等で北部7割の面積で障害が発生したものの、1月12日14時時点で2割強まで回復したとされ、他の通信キャリアも同日までにかなりの面積をカバーできるまでに回復したとされる。また、1月19日時点で緊急復旧を終えた道路の区間は主要な幹線道路がおよそ9割、沿岸部を通る国道249号及び8割で緊急復旧を終えているとされるが、半島北部の沿岸沿いの国道を中心に大きな被害が主注したエリアでは未だ復旧せず、地震による土砂崩れ等を警戒しながらの復旧作業が続いているとのことである。この他、輪島市で防潮堤や海沿いの岩礁がおよそ4m隆起したことなどが報告され、数千年に1階の現象との指摘もある。3週間が経過してもなお断水はほとんど解消されておらず、2月末から3月末になるのではないかと推測されている。

阪神・淡路大震災や東日本大震災、熊本地震の教訓は活かされたのか?

 さて、上記の通り、被害は甚大でまだまだ復旧には時間がかかると思われるが、これほどの被害が発生してしまったのは、これまでの大規模災害の教訓が活かされていなかったのではないかとの疑問が湧いてくる。県外から応援に駆け付けた救護班が被災地で活動する中で聞こえてきたのが、実は、今までの災害時の教訓が活かされていないという声である。断水の影響で基幹病院が医療破綻に陥っているといった報告や上下水道の復旧がなされておらず、道路が壊滅的で物資が届かない、あるいは、避難所でも段ボールベッドが足らずに冷たい床で寝ている現状に、救護班が入っているのに対応できていないことに驚きを禁じ得ないといった声が聞こえてくる。

そもそも阪神・淡路大震災は防災の在り方のターニングポイントとなった災害である。6400名余りの犠牲者の内、建物倒壊による圧死が8割以上に上り、旧耐震基準の木造建物が多かったという反省に基づき、国は耐震化を強力に推し進めるべく、国土強靭化計画を策定して推進した。建物が倒壊したことで道路がふさがれ、緊急車両が通れない、あるいは耐震化が図られていない水道管が破壊されたことで消防活動に支障をきたしたことなどが教訓となり、建物や水道管、貯水槽等のインフラの耐震化が進んだ。これにより、2003年に76%だった全国の住宅の耐震化率は87%にまで上昇し、神奈川県や東京都では90%を超えるに至っている。一方で、石川県輪島市の多芯化率は2022年で46%、珠洲市は2018年度で51%であった。水道管についても石川県の耐震適合率は36.8%に留まっていた。このように、阪神・淡路大震災で明らかとなった耐震化の必要性が石川県、特に能登半島では周知・徹底されていなかった可能性がある。背景には過疎化と高齢化で、建替えを強力に推し進めづらい事情があったと考えられる。名古屋大学の福和伸夫名誉教授の「地方では限られた財源でインフラを強化するのが難しい面もあった」との指摘もある。

しかしながら、阪神・淡路大震災で得られた教訓を活かしていれば、これほどまで被害は拡大しなかったのではないかと考えてしまう。先に紹介したように、能登地方は幾度となく大きな地震に見舞われてきている。もし、阪神・淡路大震災を惹起せしめた、兵庫県南部地震クラスの地震が襲来したら、どのような被害が発生するだろうとのシミュレーションは容易にできたのではないだろうか?能登半島の地理的な条件下で、もしひとたび大地震が発生すれば、沿岸部を通っている基幹道路が寸断され、急な山地で道路も狭く、迂回することが難しい状況下で、一体どのようにして物資を運搬することができるだろうか?物流が滞り、陸路での物資の搬入は厳しくなり、空路や海路を使わざるを得なくなるのではないかと想像することは難しくないように思える。

室崎益輝神戸大学名誉教授は、「震災の教訓が能登に伝わっていない」とする。特に、避難所の限界が浮き彫りになったとし、インフラの復旧が見通せないため、石川県や政府が県内の宿泊施設や北陸各県への広域避難を推進するが、高齢者だけでなく、コミュニティー単位で動くことが大切で、地域に残る人のため、集落ごとの小規模な仮設住宅の建設も重要だと警鐘を鳴らす。背景には、阪神・淡路大震災で、抽選で高齢世帯などを優先して仮設住宅への入居を進めた結果、コミュニティーの分断を生んだとの思いがある。この点は実は、新潟県中越地震の際にも指摘された点である。当時孤立した山古志村の村長が全村移民を決めたが、結局コミュニティーを分断したために、体調の変調を訴える住民が続出したことを看過してはならない。すなわち、できる限りコミュニティーは維持すべきというのが筆者の持論でもある。

室崎氏はさらに、初動対応の遅れを指摘する。通常であれば、発災から2、3日後までに自衛隊が温かい食事やお風呂を被災された方々に提供してきたが、今回の能登半島地震では、緊急消防援助隊の投入が小出しで救命ニーズに追い付いていないとする。本来は想定外を念頭に、迅速に自衛隊、警察、消防を大量に派遣すべきだったとするのである。その背景には、被災状況の確認を直後にできなかったことがあるとする。このため、国や県のトップがこの震災を過小評価してしまったのではないかと推察している。すなわち、最大の問題は、被災地で何が起きているかを把握するシステムが機能しなかったことにあるとするのである。私自身も同じように感じていた。現地の被災状況が分からないために、迅速な意思決定ができない状況に追い込まれてのではないかと感じていた。まずは、情報収集が何より重要であり、そのためにどのようにして情報を収集するかシミュレーションしておくべきなのであって、今回の対応は聊か遅いと言わざるを得ない。そもそも、あの阪神・淡路大震災の際に危機管理が機能しなかったと反省の下に、災害対策本部を30分に以内に立上げ、各省庁から情報収集を行えるように体制を刷新したのではなかったか?もう一度、災害対策本部における情報収集の在り方や意思決定の在り方を議論する機会としたい。

さらに、室崎名誉教授は、初動対応についても、自衛隊、警察、消防の邪魔になるとして、民間の支援者やボランティアが駆けつけることを制限したが、初動から公の活動だけでは無理があって、民の活動も必要であり、医療看護や保健衛生だけでなく、避難所のサポートや住宅再建の相談などに専門のボランティアの力が必要だとしている。想定外の事態であるという認識の下、 苦しんでいる被災者を目の前にして、「道路が渋滞するから控えて」ではなく、「公の活動を補完するために万難を排して来て下さい」と言うべきであったとする。結局のところ、マンパワー不足と専門的なノウハウが欠如したために後手後手の対応にならざるを得なくなっているとする。政府は「お金は出します」というリップサービスではなく、関連死を防ぐなどの緊急ニーズに応えられる具体的な対策を提供すべきで、「必要な人材を出します」というサービスに徹するべきとしている。

この点については、今後の議論を待つ必要があるが、私見では、被災地の状況が明らかになっていない段階でボランティアに万難を排して来てください、というのはクライシスマネジメント及びリスクマジメントのあるべき姿として望ましくないと考えている。すなわち、ボランティアにも災害対応力がある人、行政が求めている支援が何か、被災地でも取られている支援が何かをきちんと把握して必要な支援を行える人材、何よりも自分自身のリスクマネジメントがきちんとできる人でなければ、かえって二次災害を惹起せしめ、現場を更に困難ならしめることになりかねない。筆者の提案は、災害ボランティア登録制度である。予め研修や講習を受け、ボランティアとして現地に入って支援を行うことができる適格がある人材を送るようにすべきである。このため、こうしたネットワークの構築を国が主導し、必要な人材を県の要請に応じて投入するのである。こうすれば、被災地の手を煩わせることこともなく、必要な人材を必要なだけ現地に派遣することができるようになる。これとても、いざ災害が発生してからではなく、いざという時に備えて、平時からこうした人材の育成・登録のためのシステムを構築しておくことが重要ということである。あくまでも試論であるが、今後是非検討してもらいたい施策である。
また、東北大学の今村文彦教授が指摘するように、震災後の応急仮設住宅など用地確保や移転かさ上げ化をめぐる合意形成が難航した点などの教訓を活かし、事前復興の重要性も改めて認識する必要がある。

 このように、阪神淡路大震災や東日本大震災等の教訓が必ずしも活かされていなかったことは非常に残念ではあるが、今回の能登半島地震を教訓にして、改めて教訓を見直してみることも必要なのではないかと筆者は考えている。

危機管理の要諦-地域防災もBCPも災害イマジネーションで備える-

能登半島の地理的特性で、山地の傾斜が急なうえ、ほとんど緑地であり、半島である。どうしてもルートが限られるため、復旧復興を困難ならしめることは容易に想像できる。国道249号線は能登半島を走る大動脈であり、その大静脈が大地震に遭遇し、土砂崩れや地割れ、あるいは液状化等でずたずたに分断された場合にはどのようなことが起こるのか、事前にシミュレーションできたはずではないかと思うのである。

既に私達は、阪神・淡路大震災により高速道路が倒壊し、物流が停滞した教訓を得ているし、東日本大震災でも道路が大打撃を受けて、物流に大きな障害が生じた教訓も得ている。東日本大震災では、国土交通省東北地方整備局や宮城県、自衛隊が協力して、くしの歯作戦と称する道路啓開を決行したことはよく知られている。幹線道路が使えなくなった場合の備えをシミュレーションしておくことで、道路を啓開するための事前の協力体制を構築しておく、迂回路を設けておく、あるいは海路を使ったアクセスの確保等の複数の対策を講じることができたように思う。気象条件の問題をクリアすることを条件として、道路が使えない場合の空路を使った物資の運搬も想起される。

私は能登半島地震が発生した直後に、直感的に直ぐにホーバークラフト(エアークッション艇)を想起した。道路が寸断され、空路も気象条件が厳しく、かつ平地が少ない条件下で着陸が困難だとしたら、仮に4m港が隆起していたとしても、水陸両用のホーバークラフトなら物資を搬入できるし、場合によっては重機類も運搬可能であると考えたのである。報道を見ると、実際に、自衛隊が。50トンの戦車まで揚陸させられる水陸両用のLCAC(エアークッション定)やその母艦となる輸送艦おおすみを出動させて、道路啓開用の重機やトラックを揚陸してい艇る。ただし、その揚陸についてもことはそう単純ではなく、全長28m、全幅14m、排水量85tで上陸できる箇所は限られ、その後陸揚げされた重機やトラック類を砂浜から一般道に至るまでに、道路マット施設車など上陸支援教材も必須であり、トラック等がスタックしないような配慮も必要なことを併せて考える必要がある。

最後に、危機管理の要諦について述べておきたい。これは他のコラムでも述べていることであるが、人は、次に何が起こるかということがイメージできなければ絶対に適切な対応をすることができない、これを災害イマジネーションと呼ぶが、私たちは、いざ災害が発生したら、ある特定状況下で刻々と状況が変わる中で、どのようなことが起こるかを想像できる力が肝だということである。被害想定にリアリティーがあればあるほど、災害発生時の想定外をなくすことができる。すなわち、災害イマジネーション力を養成することで、事前の対策を効果的なものとすることができ、また、災害発生後は常にどんなことが起こりそうかをイメージ(想像)しながら、適切な対応をすることが可能になるということである。災害が発生する前の被害抑止、被害階軽減、災害予知と早期警戒という被害発生前の事前準備がリスクマネジメントであり、災害発生後の被害評価、緊急災害対応、復旧、復興がクライシスマネジメントである。

地域防災にしても、企業・組織のBCPにおいても、危機管理の要諦は災害イマジネーションにある。すなわち、地域防災では様々な自然災害(ハザード)や新型ウィルス感染症が発生した場合に、どのような被害が発生するのかをできるだけ具体的にイメージすることであり、企業・組織のBCPについては、これらに加えて、コンプライアンス、情報漏洩等のリスクが顕在化した場合の被害想定をできるだけ具体的にイメージすることである。そして想定した被害を未然に防ぐため、あるいは被害を軽減するためにはどのような方策を講じたらいいかを検討することで適切なリスクマネジメントが可能になる。一方で、クライシスマネジメントは、災害発生後は想定外の事態に想像力を駆使して、この後どのようなことが起こりそうかを先読みして対応することが必要になる。クライシスマネジメントにはより一層災害イマジネーションが求められることになる。

では災害対応力を向上させるための災害イマジネーションを養成するためにはどうしたらいいのか?それには、具体的な状況を付与することで、その先に何が起こるかを想像(イメージ)する訓練をする以外にない。要は、訓練や演習である。様々な状況をイメージすることで想定外を可能な限りなくすことがクライシスマネジメントには重要な要素になる。

今回の能登半島地震はまさにこうした災害イマジネーション、大地震が発生したら、自分がいる状況下でどんなことが起こりそうか、地理的な条件下ら、主幹道路が寸断される、迂回道路も土砂災害等で不通になる、上下水道が使えなくなる、そして、直下型地震が来たら、旧耐震基準の建物は倒壊する可能性が高く、下敷きになる可能性が高い等イマジネーションを働かせる訓練や演習を行うことで、災害が発生する前の対策(リスクマネジメント)を講ずることができたように思うのである。

今回の自衛隊のホーバークラフトの揚陸についても、日頃の鍛錬の賜物であると言える。

平素から、日本各地の沿岸で、陸上自衛隊が重機を揚陸させる訓練を続けていたからこそ、国土交通省の重機(油圧ショベル)等を安全に揚陸することができたのである。別件ではあるが、羽田空港の事故についても同じことが当てはまる。日頃の鍛錬があったればこそ、軌跡が起きたと言える(羽田空港事故については他のコラムで取り上げているのでそちらを参照されたい)。

 最後になるが、JAIROが提供するBCP研修・セミナーはこうした災害対応力を養成するために災害イマジネーション力がつくように設計されている。災害対策の本質、地域防災の本質、BCPの本質が何であるのかを、マニュアル至上主義ではなく、いざという時、主体的に判断できる人材の養成を目指している点が特徴である。つまり、マニュアルがなくても動ける人材の養成である。また、JAIROの地域コースや防災リーダー養成コース、災害対策の基礎知識(eラーニング)、BCP研修を受講頂ければ、日業業務におけるパフォーマンも向上し、組織・社内のリスク・コミュニケーションが活性化され、コンプライアンスの強化をもたらすことができる。能登半島地震を契機に、自社のBCPを見直したい、演習がうまくいかない、いざという時、本当に機能するか地震がないといった課題や不安をお持ちの方はぜひこの機会にJAIROの防災・BCP関連コースの受講を検討頂きたい。

2024年2月19日にBCPセミナー(無料セミナー)を開催いたします。

執筆者:木村正清

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